「滑稽新聞・絵葉書世界」について

滑稽新聞とは、明治のジャーナリスト、宮武外骨が刊行した娯楽雑誌のことである。
宮武外骨、本名亀四郎は慶応3年讃岐阿野群の庄屋の四男として生まれた。
彼は少年時代に時局諷刺雑誌『團團珍聞』(トントンチンブン)を愛読し、自由民権運動の影響を強く受け、独自の反骨精神とニヒリズムから18歳の時に“宮内外骨”と戸籍名を変えてしまう。 成長した彼は出版業を志して上京し、明治20年4月に『頓知協会雑誌』を創刊した。 内容は全国各地の新聞や雑誌の論説や投稿をまとめたものだったが、強烈な諷刺に満ちた雑誌のため、2年後に発禁処分を受けることとなった。
その後『屁茶無苦』や『頓智憲法』を刊行するが全て発禁処分となり、罰金を繰り返した。 しかし外骨はくじけるどころか、ますます政局批判や官僚、官憲諷刺に燃え、 明治34年1月、豊富な漫画、諷刺画、罵倒記事が売り物の雑誌『滑稽新聞』を創刊する。 痛烈な皮肉と社会批判、色物などエログロ・ナンセンスな内容だが、逆に話題を呼んだ。 滑稽新聞の大ヒットは、明治中期以降の漫画雑誌創刊ブームを生み出し、タイトルに滑稽とつけることが流行した。

宮武外骨のプロデュースした雑誌の中に、『滑稽新聞』に次ぐヒットを飛ばした『絵葉書世界』がある。 絵葉書ブームに商売の可能性を見出だし、別冊定期増刊として明治40年に『絵葉書世界』を創刊した。
各号が風俗・世相諷刺漫画やエログロ・ナンセンス調、江戸劇画調、外国漫画などバラエティー富んだ多色刷りのイラストが、63×93cmの八つ折りされた厚紙に印刷されていた。 2年間に渡り毎月発刊され、26集販売されたこの雑誌は、見るだけで十分楽しめるうえ、全てのイラストを切り離して30枚の絵葉書として使えるようになっていた。 一部40銭という手頃な値段と絵葉書ブームによって、大成功を収めたのである。
また全部で780種ある絵葉書は、竹久夢二といった既に成功を収めていた有名作家や、米野白水、墨池亭黒坊といった無名作家の協力によって支えられていた。 優れたデザインが多く、外国での評価も高い。

絵葉書資料館 ・株式会社タイムロマン
絵葉書世界 15集、明治41年7月発行
絵葉書資料館